書 名 | 哲学徒と詩人 |
作 者 | 上村武男 |
出版社 | 編集工房ノア |
シリーズ | - |
【抄・序】 |
【目次】 |
p5…はじめに p15…青木敬麿−落ちる僕と、それを受けにくる仏と p93…三土興三−永遠の道は曲がりたり p145…岡本春彦−そこでは沈黙が鳴りひびいている p197…野崎広義−くらい魂の海の認識者 p247…終章−哲学徒と詩人 |
【本文】 |
岡本春彦 p180 「かたはれの水」 かたはれどき、 いろさまざまのもの影は、やさしくうかゞひより、 やがてまた水のうへより、 ほのかにもきえゆく−− わたくしのこゝろの水、 ああその水に永きひと日も暮れ、 ふるへつづけてゐたさびしい花もいつしかに凋れゆけば、 ああたゞひとりうなだれて燃ゆるかなしみのほのほ。 いまははや水の色見え分かたず、 たゞひえびえと取りあつめたる夕ぐれのなかに、 ちからなく過ぎし日の蜘蛛の網をばかひさぐりつつ、 あるはまたえも分かぬねがひにふるへながら、 こゑをひそめていと細き悲しみの火が燃えつゞけてゐる。 野崎広義 p213 《秋は思索の自然である、春は歌舞の自然である。思索の末には欣びがある、歌舞の末には悲しみがある》 (日記・大正元年9月 23歳) 《世の光あるもの、深いもの、新らしいものは多くは孤独が産み出した、星を見んと欲せば砂漠に立てよ》 (日記・大正元年10月 23歳) |
【後記・他・関連書】 |
【類本】 |