書 名 | からだの意識 |
作 者 | フィッシャー(セイモア)/村山久美子・小松啓訳 |
出版社 | 誠信書房 |
シリーズ | - |
【抄・序】 |
【目次】 |
序文 p1…1.自分のからだはなぜ知りにくいか? p29…2.からだの境界はどのように防衛されるか? p60…3.男と女はからだに対してなぜ見方が違うのか? p93…4.人は自分と異なるからだにどのように対処するか? p128…5.衣服によってからだはどのように装飾され偽装されるか? p162…6.からだの拡大と縮小は何をもたらすか? p192…7.からだは創作活動にどんな影響を及ぼすか? p225…8.死はからだに何をもたらすか? p258…引用文献 p263…訳者あとがき |
【本文】 |
p160 私は自分の臨床的所見からみて、非常に美しくまたつねに羨望の眼差しを注がれている女性は、内的感情が外面を取り繕うのに耐えられなくなるような気がしている。なぜなら、その女性は、自分の受ける称賛を喜ぶが、自分の美がまやかしではないかという疑いに悩まされるであろう。人びとがもし、その表面の下に何があるかを知れば、果たしてそれでも称賛を与えてくれるだろうか、と自問する。人びとが美的な表面にのみに引きつけられるという事実に対して、その女性は自己防衛的な怒りさえ感じてしまうのである。事実、輝かしい外面に見合う材料を自分の内部に見つけるのは困難であるかもしれない。その女性は人びとが外面の美を賞賛するようには、自分の内的自己を賛美してはくれないことを知っているのである。この相違のために、その女性は自分が偽者であることを感じとるかもしれないのである。 |
【後記・他・関連書】 |
【類本】 |