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書 名原文中原中也詩集
作 者中原中也/中原思郎
出版社審美社
シリーズ-

memo
【抄・序】


【目次】
p1…山羊の歌

p110…在りし日の歌

p208…ランボオ詩集
p367…付録 失なはれた毒薬
p369…附録 後記

p373…編者あとがき(中原思郎)


【本文】
p167
 わが半生

私は随分苦労して来た。
それがどうした苦労であつたか、
語らうなぞとはつゆさえ思はぬ。
またその苦労が果して価値の
あつたものかなかつたものか、
そんなことなぞ考えてもみぬ。

とにかく私は苦労して来た。
苦労して来たことであつた!
そして、今、此処、机の前の、
自分を見出すばつかりだ。
じつと手を出し眺めるほどの
ことしか私は出来ないのだ。

   外では今宵、木の葉がそよぐ。
   はるかな気持の、春の宵だ。
   そして私は、静かに死ぬる、
   坐つたまんまで、死んでゆくのだ。


【後記・他・関連書】
p373
編者あとがき
 収録した詩集「山羊の歌」、同「在りし日の歌」、翻訳「ランボオ詩集」、すべてできるだけ厳密に初版本に拠った。初版本に印刷されたとおりを、加除なく再生した。
 誤字、あて字などがあっても、そのまま、送りがなの誤用などがあっても、そのまま、ふりがなも、そのまま、すべて原文を忠実に再現した。
 ありのままの詩人の自足を最高に尊重する意図に基く。
 未刊詩篇を採用しなかったのも、詩集編集にあたっての中也自選の眼を意味あるものとしたかったからである。
 最近、中也ものの氾濫する中で、中也不在化、詩人としての不具化の傾向が見られる。
 詩人に、自分自身であってもらいたいという願いが私にある。
 詩人を、他から超然とさせておきたいという独断と偏見とが私にある。
 中也を、いじくりまわしてもらいたくないという傲慢で狷介な心情が私にある。
 私が中也の肉親であるからであろうか。
 近親相姦的な臭いがするかもしれないが、本書もまた、他からの声に耳を掩っていたい。
 一九七六年夏  中原思郎

【類本】
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