書 名 | 創造的要素 |
作 者 | スペンダー(S)/深瀬基寛・村上至孝訳 |
出版社 | 筑摩書房 |
シリーズ | 筑摩叢書-035 |
【抄・序】 |
【目次】 |
p1…はじめの言葉 p11…1.夢を孕む単独者 p48…2.ランボー論(絶対に近代的であることの必要) p79…3.リルケとエリオット論(天使から伝統へ) p113…4.フォスター論(人格的関係と公的権力) p141…5.ロレンス論(本能的生の開拓) p165…6.イエーツ論(芸術か人間か) p197…7.オーウェルとエリオット論(夢の否定と絶望) p224…8.オーデン論(三十年代における政治的正当性の課題) p255…9.イーヴリン・ウォー論(諷刺と求道) p285…10.結語 新しい正統 p323…附録 詩の一篇が出来るまで p353…訳者あとがき(深瀬基寛) p359…新版の刊行にあたって(村上至孝) |
【本文】 |
p81 つまり手紙はリルケの生活においては、あたかもプルーストの場合、部屋のキルクの壁張りが世間の雑音を隔離する役割と果たしたのとほぼ同じ役割を果たしている。彼が死んだのは、薔薇のトゲが指に刺ったのがもとで感染したある病気のためだった。してみると、彼の一生は、まるでお伽噺のような幼年期と、これもお伽噺のような死との二つのカッコで閉じられた一生のように見える。 p97 リルケは偉人や不幸な恋人や聖者−彼らはみな死者である−について反省する。そしてある目的を以て抽象されたそれらの抽象観念に彼が付与する属性によって彼は生を補強しようと考える。彼は偉人や恋人や聖者たちのもつもろもろの属性をひとからげに束ねて、それを生の非光被面、すなわち死と呼ぶ。死についてのこの観念は結局は、生の条件から抽象された目的意識に帰するか、もしくは単純に潜在意識に帰するほかはない。しかしそのいずれも、さらにまた死者がわれわれの思想のなかに存続しているらしく見える「きわめて高度の超絶性」でさえも、生の諸条件の外にある死の現実をば実際は創造することが出来ない。 |
【後記・他・関連書】 |
【類本】 |