タイトル: Re:熱田神宮
投稿者 : 柴田晴廣
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登録時間:2006年6月30日15時58分
本文:
風姿さん
はじめまして
旧八名郡に鎮座する賀茂神社については、『小野田庄賀茂大明神旧記』に、天
平元(七二九)年三月、山城国坐賀茂別雷神を勧請したと伝えられていますが、
『三河国内神名帳』に賀茂大明神等、賀茂神社に比定される神名は、載っていま
せん。
旧八名郡に鎮座する賀茂神社について、度会延経(一六五七〜一七一四)は、
その著『神名帳考証』で、三河大伴直が、賀茂神社を創立し、祖神を大伴社に奉
じ、両社の神職として奉仕したが、徳治二(一三〇七)年、賀茂神社に竹尾氏が
仕えた後、三河大伴直が大伴社の専属となった旨を記します。度会延経が賀茂神
社を三河大伴直の創建とするのは、『賀茂本記』に「三河大伴直、白雉元(六五
〇)年、八名郡大照山の草木を掃い云々」と記されていることを根拠としたと推
測されます。八名郡大照山とは、賀茂神社の北七百メートルほどのところを山頂
とする照山をいい、賀茂神社はこの山麓に位置します。
『賀茂本記』では、「三河大伴直、白雉元(六五〇)年、八名郡大照山の草木
を掃い云々」と記載され、度会延経は、それを根拠に賀茂神社の創建としたと考
え、一方、『小野田庄賀茂大明神旧記』は、天平元(七二九)年三月に山城国坐
賀茂別雷神を勧請したと伝えます。上述のように、『三河国内神名帳』に賀茂大
明神等、賀茂神社に比定される神名は、載っていません。これらを考慮すれば、
八名郡照山の南麓には、元々、大伴氏の祖神・大伴明神が祀られており、その後
に、賀茂別雷神が勧請されたと考えられます。
度会延経は、徳治二(一三〇七)年、竹尾氏が賀茂神社に仕えるようになった
とします。竹尾氏が賀茂神社に仕える経緯については、言及していません。
『三河国内神名帳』に宝飯郡坐従五位上竹生(タケオ)天神が載っています。
この竹生天神は、新城市豊栄(旧設楽郡)鎮座の竹生神社が比定されます。竹生
神社々伝は、延喜二二(九二二)年、設楽郡賀茂郷を竹生・野田二郷に改めたと
き、山城国賀茂神社の祭神・武津身命(タケツミノミコト)の裔・竹生氏が竹生
郷司となり、祖神を勧請した旨を伝えます。承平四(九三四)年頃成立したとい
われる『和名類聚抄』は、設楽郡に設楽、賀茂、黒瀬、多原の四郷を載せます。
しかし、設楽郡賀茂郷は、現在の南設楽郡作手村あたりを指すといわれ、竹生神
社が鎮座するあたりは設楽郡設楽郷に属するといわれます。そうしたことから、
にわかには、信じられませんが、竹生神社が竹生氏によりその祖神である賀茂神
を勧請したということはあり得る話です。そして、竹生氏は、八代にわたり竹生
郷司を勤め寛治七(一〇九三)年に退転したといいます。この竹生氏が後に賀茂
神社の神主となる竹尾氏と考えられます。鎌倉幕府の創始者・源頼朝(一一四七
〜一一九九)の時代に八名郡に賀茂神領があったことが確認されることから、寛
治七(一〇九三)年に竹生郷司を退転した竹生氏は、賀茂神を奉じ八名郡に移
り、賀茂神社を建立したと考えられます。
以上から、元熱田が豊橋市賀茂町神山の賀茂神社などという説は、笑止千万、
荒唐無稽な妄説ということになります。
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