書 名 | メディア論のための積木箱 |
作 者 | エンツェンスベルガー(H.M)/ 中野孝次 ・ 大久保健治 訳 |
出版社 | 河出書房新社 |
シリーズ | st叢書 |
【抄・序】 |
【目次】 |
p5…ベルリンの共有句 p43…共有句。最近の文学に関すること p59…ある党の肖像 p95…メディア論のための積木箱 p137…革命ツーリズム p179…政治的生態学批判 p239…訳者あとがき |
【本文】 |
p95 メディア論のための積木箱===1970 1 エレクトロニク・メディアの発達とともに、意識産業は、後期工業社会の社会的・経済的発展の先導馬となった。意識産業は生産のすべての他の分野にまで浸透し、ますます操作とコントロールの機能をひき受け、支配的テクノロジーの規準を定めつつある。 p102 4 60年代の新左翼はメディアの発展をただひとつの概念に、すなわちマニプレーション(操作)という概念に、集約した。この概念はもともとは認識開発の効用を持っていて、個々の点にわたって一連の分析的研究を可能にしたのだが、今やそれは単なるスローガンに成り下がろうとしている。そしてそれはマニプレーションという概念を明らかにするというよりむしろ隠蔽し、それゆえにみずからが分析の対象となる必要がある。 p108 7 新しいメディアは行動志向的であり、観照志向的ではない。瞬間志向的であり、伝統志向的ではない。新しいメディアの時間関係は、所有を追求し、したがって持続を、願わくは永遠を欲するブルジョワ文化の時間関係に反する。メディアは蓄積され、競売に付せられるようなものは産出しない。それはおよそ「精神的所有物」などとよばれるものを解消してしまい、「遺産」なる非物質的資本の階級特有の譲渡行為を清算する。 だからといって、メディアは非歴史的なものであり、または歴史意識の解消に寄与するなどと言っているのではない。反対にそれこそ歴史上初めて、歴史的素材を固定し、それがいつでも現在化されることを可能にするのだ。歴史的素材を現在の目的に用立てることによって、メディアはどの利用者にも、歴史記述がつねにマニプレーションにほかならぬ事を明らかにする。しかしながらメディアの準備している記憶は学者階級のためにとってあるのではない。それは社会的なものだ。貯蔵された情報はあらゆる人々の手に開かれていて、情報を求める行為は写真撮影と同様その瞬間その瞬間に規定されている。両組織の構造的な相違を認識するためには、個人蔵書と社会化された貯蔵庫とをモデルとして比較してみればよい。 |
【後記・他・関連書】 |
【類本】 |