書 名 | 根芹 |
作 者 | 阿部次郎・阿部余四男・竹岡勝也・阿部六郎 |
出版社 | 金文堂出版部 |
シリーズ | - |
【抄・序】 |
【目次】 |
【本文】 |
p1…序(竹岡勝也) 献芹(阿部次郎) p13…献芹 p19…丙戌 日記抄1 p34…丙戌 日記抄2 p50…丙戌 日記抄3 p57…華雲帖に寄す-婦人と芸術- 野の人(阿部余四男) p67…道祖神祭り p71…山の誘惑 p77…三太郎先生 p84…死後の問題をめぐって p100…犠牲者 p110…蛇の足 p115…私の母 葦の葉(竹岡勝也) p125…祖母さんの話 p137…読書と人生 p281…扶余行 五月のロザリオ(阿部六郎) p201…母の断片 p207…山と文学について p216…岡本先生の思出 p228…死の近接について-告白と糺明- p243…五月のロザリオ p262…著者略歴 |
【後記・他・関連書】 |
p247 1938年5月1日 裸になりたいと思ふほど暑い夜だと思つて雨戸をあけたら、冷えび えする夜風が吹いてゐた。殆ど自分の思ひたいことを思う暇もない ほど一年間の時間が約束されてゐるこの頃なのに、今夜は、思ふな といはれたら床にでも入つてしまふだらう。学生の頃のやうな感傷 が久しぶりでうづいてゐる。死んだものと生きてゐるものとに誘は れる。 今夜は牧子の誕生日で、明日は海紀夫の一週忌だ。 『在りし日の歌』の中原の肖像。 あの顔はどの詩よりも私を呼んだ。かさばる物の放擲。脱出の夢 が一夜私に憑いて眠らせなかつた。 呼ばれて、寝たまま月明の空を飛んだのは二三日後の夜だった。 −私の幸福にひびが入つた。 特別神様に可愛がられてゐるやうな気がすると言つた妻に涙を覚 えた日を、生きてゐた中原は悦んだことだらう。死んだ中原は私か らその悦びの無垢を奪った。 詩への焦心は死への焦心にさえ通じた。 これほど青い果のやうだ、私の生活は、愛情は。 それでゐて言葉の殻の老硬さ。 空しき時間は誰がための贈物ぞ。 私は結局辛抱強く生きて行くだらう。せめて約定された私の時間 にこの悲しみの果を生かして行かうと慰めるだらう。 積極的といふことが心情に膜を張らせることにならないやうにな らなければ、すべて空しき贈與だ。 中原の喪失が心の喪失となつてしまつては。 今夜これを開くまでは中原のことは忘れてゐた。あえかな夢がひ つかかつてゐた。 昨日の昼は、炎のやうな若葉と花園に涙を浮かべてゐた。肥つち ょの蜂は故郷の日からの使者のやうだった。母も五月。母の見ない 花を私は見た。生きのびた子の土産はそれだけ。 風が吹く。 ------- |
【類本】 |