書 名 | 無限を求めて(直観と論理の相克) |
作 者 | ヴイレンキン(ナウム)/東保まや・東保光彦訳 |
出版社 | 現代数学社 |
シリーズ | - |
【抄・序】 |
【目次】 |
【本文】 |
p10 アッカドの神話によると、男神マルドゥクは、原始の海のシンボルである女神ティアーマトと戦って勝ち、彼女の身体をふたつに断ち切って、空と大地とを創った。 p11 古代インドの、だいたい紀元前1500〜1200年に、ヒンドゥスタンに侵入したアーリア人が創造した神話は、きわめて象徴的な意味をもっている。この神話には、ダーナヴァとアーディティとの戦が語られているが、これは、限りあるものと限りないものとの戦であるということができる。アーディティの勝利は、天と地との息子であるとされる神、インドラの庇護のおかげであった。彼が奇跡的に巨大な身体に成長したのを見て、天と地は驚き、それぞれ反対側に退いた。 同じような神話は、太古のペルシアにもあったが、その昔には、アーリア文明と共通していたわけだ。彼らの神話によると、アフラ・マズダが、輝く金属から、明るく光満ちた卵形の天蓋を創った。この天の殻が無限の世界と接していた。すべての被造物は、この天蓋の内側にあった。ペルシア人の考えた大地は、球形で、卵の黄身が白身に囲まれてあるように、天球の中にぶら下がっていた。 ギリシア神話では、世界が三つの部分に分かれていた。地下の帝国と地上と天である。これら三つの部分は、太洋に囲まれていた。(なぜ泉から水が湧きだし、天から雨が降ってくるかをこうして説明した)。 p12 世界を科学的に理解しようとする試みは、紀元前585年の日蝕を予言したギリシアの哲学者、ターレスに始まる、とするのがならわしだ。太陽と月とが天の目であるとか、ヘリオス、セレナの神々である、と考えられて間は、こんな事ができるはずはなかった。 アナキシマンドロスは、有限と無限の戦いというインド・イランの考えにもとづいて、全宇宙が、無限、すなわちアペウロンから生まれた、という説を創った。アナキシマンドロスによると、アペウロンは、不滅で限りなく、永遠である。無数の世界が存在していて、それぞれが孤立している、と彼は説いている。また、彼によると、世界は、それぞれ、ある時期に生まれては、また、消滅する。 p13 偉大な原子論者であるデモクリトスは、宇宙には限りがないばかりでなく、中心もない、と言っている。これらの考えは、数世紀後のローマの詩人で哲学者のティトゥス・ルクティウスの詩にみえる。 そこには国もなく、終わりもなく 汝が何処にいようとも 汝が何方に向うとも いつも限りなく広がっている |
【後記・他・関連書】 |
【類本】 |