書 名 | 希望の革命〔改訂版〕 |
作 者 | フロム(エーリッヒ)/作田啓一・佐野哲郎共訳 |
出版社 | 紀伊国屋書店 |
シリーズ | - |
【抄・序】 |
カバー裏より (本書について) 新しい幽霊が私たちの間をわがもの顔に歩き廻っている。それは、かつての共産主義やファシズムの亡霊ではない。完全に機械化され、大量生産と消費に浮身をやつし、コンピューターに指図される社会がそれである。この社会では、人間自体が機械全体の一部と化すとともに、力が、法と秩序が、官僚主義が横行し、人問は生の充実感を失い、生活感情は枯渇してゆく。 フロムは設問する。こうした情況の中で、人問の自由は、そして生きがいは如何にして回復可能かと。以上、かれは、技術社会・マス社会の根源的病巣を鋭く分析、人問が主体性を取り戻すための行動を提起する。 |
【目次】 |
p7…改訂版序文(1970年6月 エーリッヒ・フロム) p11…はしがき p15…第1章 別れ道 p23…第2章 希望 p51…第3章 私たちは今どこにいるのか、そしてどこへ向かっているのか p95…第4章 人間的であるとは何を意味するか p147…第5章 技術社会の人間化への諸段階 p209…第6章 私たちはそれをなしうるか p233…訳者あとがき(1969年9月 作田啓一) p237…改訂版訳者あとがき(1970年7月) |
【本文】 |
p35 希望は信念に伴う気分である。信念は希望の気分がなければ持続しえない。また希望は信念以外の何物にも基盤を置くことはできない。 p72 論理的な思考は、それが単に論理的であるにとどまるなら、合理的とは言えない。それが合理的であるためには、生への関心によって導かれること、あらゆる具体的な事実、あらゆる矛盾をかかえた全体的な生活の営みへの探求によって導かれることが必要である。 また一方、思考だけでなく情緒もまた合理的でありうる。 〈Le coeur a ses raisons que la raison ne connait point.〉 (心情には、理性が何ら関知しないそれ自身の理性がある)とパスカルも言っている。情緒的生活においての合理性とは、人間の心的構造が調和のとれたバランスを保ちながらそのバランスを成長させることを、支持し促進するような情緒を意味する。だから、たとえば非合理的な愛とは、人の依存性、ひいては不安と敵意を強めるような愛である。合理的な愛とは、人と他人を親密に結びつけると同時に、その人の独立性と全体性を失わせないような愛である。 |
【後記・他・関連書】 |
【類本】 |