書 名 | エロス的文明 |
作 者 | マルクーゼ(H)/南博訳 |
出版社 | 紀伊国屋書店 |
シリーズ | - |
【抄・序】 |
(カバー裏)より 今日、フロイトの精神分析理論を抜きにして現代の人間と文明を語ることは出来ない。フロイト理論の意味と影響力はまことに大きい。しかしフロイトは本当に正しく理解されているといえるだろうか。本書において、著者マルクーゼは、フロイトの源流にまでさかのぼって、精神分析理論を一つの思想として全面的に検討・批判し、フロムをはじめとする新フロイト主義者によるフロイト理論の歪曲を徹底的に批判する。 〜 |
【目次】 |
はしがき 訳者序 p1…序論 p7…第1部現実原則の支配の下に p115…第2部現実原則の彼方に p216…エピローグ−新フロイト修正主義の批判 p251…註 |
【本文】 |
p154 オルフェウスとナルキソスのイメージは、偉大なる拒否のイメージ、つまりリビドーの客体または主体から分離するのを拒否することのイメージである。この拒否は、解放、いいかえると、分離されてきたものの再結合をめざしている。オルフェウスは、解放者、創造者としての詩人の原型である。 p163 カントにとって、美の秩序は、感性と知性が出会う媒体である。その媒介は想像力によって成しとげられるから、想像力は「第3の」心的能力である。 p168 芸術は、支配的な、理性の原則に挑戦する。 p194 このようにある活動が、遊びであるか仕事であるかは、その内容ではなく、目的で知られる。 p196 発達した産業社会のなかで、リビドー的な仕事関係の観念は、伝統的な思想からは、あまり支持を受けない。そうして、そのような支持が与えられるところでは、それは危険な性質をおびているように見える。労働を快楽に変形することは、フーリエの偉大な社会主義ユートピアの中心的な観念である。 |
【後記・他・関連書】 |
【類本】 |
4-314-00009-0/ |